境界線

境界線についてよく考える。

 

 

今、気になっているドラマ

 

『ON 以上犯罪捜査室 藤堂比奈子』

 

 

主人公は、悪ではないけれど、決して善ではない。

 

自分の中にある狂気が表に出ないように『興味』という視点から模索している。

 

 

見ていると、『ハンニバル』を思い出す。

 

 

レクター博士は、狂っているのか?

 

という問いに、私なら「No」と答える。

 

 

軸が違うだけで、筋は通っているから。

 

 

楽しいの基準がズレて行って、裏側に回ってしまっただけである。

 

戻れないけど、一握りの人しかたどり着けない。

 

人はそれを『狂っている』と表現する。

 

 

 

では、それは「どこから」なのか?

そして、誰が決めるのか?

 

 

人殺しの映画はたくさん存在する。

ある種の疑似体験である。

 

 

卵が先か、鶏が先か。

 

映画やゲームがあるから真似をする人が出てくるのか、

元々人間にはそういった欲求があるのか。

 

 

『天使の背中の悪魔の窪み』

カッコウのヒナは、他の家に忍び込み、家人にすり替わる。

 

ホラー作品が一本出来そうだが、それは生きる知恵である。

 

 

猫は、遊びながら獲物を狩り、嬲りながらじわじわ殺す。

レクター博士と同じ。

 

 

 

生きる為に必要でなくても、血が騒ぐ。

 

楽しいのである。

 

 

 

猫は、猫を楽しんで殺すことはないから、

レクター博士はやはり(軸が)狂ってると言っていいと思う。

 

 

でも、誰も傷つかないなら、その境界線はどこにある?

 

善と悪なんて、立場が変われば簡単に変わる。

 

 

『せいせいするほど愛してる』

だって、誰の立場で観るかによって違うじゃない?

 

 

境界線って、ホント謎だわ。